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何処へ [記憶]

早朝の仕事へ出ようと外に出ると
うっすら積もった新雪に・・・・・・
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君は何処へ

あちこちに満ち溢れるニュース
今年の雪解けの遅れ
去年はもう積雪「0」だったのだが、
まだ「50」㎝はあるかな。
積み上げた庭や路肩はうず高く積もったまま。
コインパーキングもついこの前までこのありさま
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今年は、初体験のやれやれが多かった。老いとは関係無いのか有るのか。
深夜の仕事で住宅街のただなかの中通りで
ザクザクの雪の上に乗り上げて完全にスタック。
全く動けなくなる。
JAFは80件待ちで朝方まで行けそうにありませんとの返事
保険屋のロードサービスはスタックは対応していないのでどうしてもというなら連絡とりますが現金払いで3万円以上かかるしすぐ行けるかわからない。
途方に暮れてとりあえず長男に連絡。
来てもらったが無理っぽいね~と、
そこにどこからともなく現れ、近づいてくる一台のジムニー
改造車。降りてきたのは青年。
「埋まったんですか~」
「引っ張りましょうか」
え、いいんですか、お願いします。
牽引ロープ出して用意していると、サクッとウインチのワイヤーを引き出してくださって
しかもリモコン式、私の運転席の脇に立ってハンドルの指示をしてくれつつ
「ウイ~ン」
凄いです。プ、プロです。助かりました。
さっくりお礼の現金渡して感謝しました。

さて、初トラブルはその後日にも。
仕事で小樽へ目指して旧5号線を走り出した矢先、
まだ真っ暗で黒光りする路面、「ガ、ダン!!」
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この四角い穴に落ちました。
今時期、そこらじゅうの舗装が割れていますがこれは酷かった。
見えていればブレーキやハンドルで軽減するがまともにタイヤ幅でガっと落ちた。
一瞬にしてバースト。
脇道に止めて、JAFに電話。今回はすぐに来てくれるという。助かった。
会社に事務所までレッカーしてもらい、仕方なく夏タイヤをはかせて小樽へ。
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さんざんである。しかも、後日タイヤを交換にディーラーに行くと
「もう一本もタイヤの中のワイヤーが切れて膨らんでいる、高速なんて走ったらバーストしますよ」と警告。
さらに1本新調。2本の購入。
この件に関して土木現業所に苦情を告げるが、かえって泣き言が入って保証は無し。
泣き寝入りの出費となる。スタッドレスなのでそれなりの出費。

何だかなあの冬でした。
こんなきれいな現象も自然の楽しみではありますが。
朝起きてみると「くるくるくる」
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雪は美しい結晶も見せてくれる。
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今年は窓の餌かごに、アカゲラまで来た。山の餌が足りないのか。
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ま、なんだかんだで週末から4月へ向けて
気温が上昇してきます。
プラス気温が温かく感じる季節です。
こんな春の兆しの中、世界のニュースはどれもこれも問いかけてします。

「君は 何処へ・・・?」



*寺田農さんが亡くなった。「肉弾」を高校生の時に見て以来、心にとげが刺さったままずっと気になっていた。この思い出もいつか書こうと思う。
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「雨水」相変わらずの記録尽くめの天候不順。 [記憶]

「観測史上初」の連発の気候。
当地は雪まつりが終わったとたんにプラスの10℃越えを連発。
排雪進んでないところはザクザクの道路。
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わたしも初めてもろにスタックしました。
お腹閊えて全く身動きできませんでした。
身内の助けを頼んできてもらったところへ

どこからともなく現れた謎の青年。
改造ジムニーにリモコンウインチ付けて近寄ってきて
実に親切でスムーズに引き出してくださいました。
深夜の11時ころのスタックでしたがJAFは80件待ちで朝方になると言われ
自動車保険のロードサービスはスタックは有料で3万円以上でいつ行けるかはこれから業者打診みたいに言われ途方に暮れていましたので、
じつに助かりました。
お礼に煙草を1カートンとはいかないので現金渡しました。
お助けのアルバイトかな?いや、助かります。
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高橋和己著「邪宗門」読了。
実在のモデルを下敷きに展開はド派手でしたが、
書かれた時期や状況「朝日ジャーナル」連載を考えると
後々のあらゆる出来事や事件に関して示唆的でもある。
難解な感じが多くて飛ばしたところもあったが物語の面白さと
表現の巧みさに楽しく読めた。
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第13章の中にこんな描写が目に留まった。
『枝を伸ばして堀の上にのびている松がかすかな風音を立てた。枝にまかれた針金が酸化して錆びていた。』
こんな何気ない描写が随所にあり、この時も眼前にその情景が針金が浮き彫りになった。
長編の構図も素晴らしいが描写力も楽しめた。
久々の高橋和己だった。
森田童子の歌を聞くたびに「孤立無援の思想」を読み返そうかなとたびたび思っていたが…。
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テレビでは各地で梅や桜の便りも聞こえ
春待ちどおしい「雨水」節気。
戦争も大火事も地震もあまり経験のないところでも大規模に発生して
「地球号」は人類と動植物を満載してどこへ航海の舵を切って行くのか。
私の羅針盤と海図は「聖書」。
皆さんは何を指針とされるのか。
邪宗門を読んで改めて沈思。
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オロロン街道をドライブ [記憶]

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なかなか爽やかな朝です。
さて、妻と二人、出かけましょう。まずは石狩へ。
旧市街へ寄り道して石狩川河口の港を望む。
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ここから、オロロン街道を左手に日本海を見ながら北へ、
厚田~浜益~どんどんと進みます。
トンネルだらけになってきます。
本線を離れて送毛峠へ砂利道をつづれ折りに上ります。
誰も行き交う人も車もありません。
打ち捨てられた道です。
やがて、「千本ナラ」の林に到着。
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反対側から登ってくる道は舗装されています。
ホッと一息。
下って行くと、浜益の町と行く手の「雄冬岬」が一望できます。
山々は暑寒別でしょう。
美しく穏やかです。
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峠道を降り切って本線に戻り、北へ。
長い長いトンネルを抜けて雄冬。
町を抜けると、またまた、長い長いトンネル。
この様子を実感すると「陸の孤島」と呼ばれていたのがわかります。
海からしかアクセスできなかったでしょうね。
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やがて、「増毛」に付きました。
「最北の酒蔵・日本酒の国稀酒造」へ立ち寄ります。
試飲はできません、ハンドル握ってます。
東京へ発送してもらい、札幌にもお土産を購入。
蔵元限定の辛口を。
さて、目的地は「留萌」なので、進みます。
留萌も廃線になりました。港近くの駅跡の新しい道の駅で一休み。
軽く飲食して帰路へ。
「増毛」に戻って、加工場の海鮮市場に立ち寄り
自分たちへのお土産です。
そして、旧「増毛駅」
高倉健さんが主演した映画「駅 STATION」の舞台となったことが有名です。
駅舎をはじめ、あの「風待食堂」の建物が今も残っています。
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ちょっと余韻に浸りつつ、帰路へ。
中天を通過した太陽はもうまぶしさを増しています。
夕日が美しい日本海です。
途中で海鮮系で食事をとって帰り道
石狩は八幡近くまで来たら雲もあってすっかり薄暗くなりました。
雲間に夕陽が覗きます。
もうすぐ石狩川のところで畑にヒマワリです。
ちょうど、トラクターですき返しています。
今日明日で見納めの景色です。
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黄色が心を和ませてくれました。

こうして何とか久々のドライブでした。
一度は宿泊も考えましたが、色々で変更。日帰り。
片道150キロくらいですがだんだん年を追うごとにさらりとは行かなくなりました。
ずっと前に根室まで行き来した片道500キロは夢のようになってきました。

心地よい天気でしたから、
海も山も楽しめました。

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ゲンバクという重い罪 [記憶]

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中学の時に
自宅(会社の独身寮の住み込み寮母)にあった
朝日新聞社が刊行した
ヒロシマのかなりの分量の写真資料を見た。
つぶさに見た。
繰り返し見た。
昭和40年ころだからまだ、
お祭りの時などは特に白い服の傷痍軍人さんが目に付く時代。
すっかり戦後の復興がなされたかのような東京五輪も成功裏に終わったあたりの時代。
ヒロシマは衝撃的だった。
世界はベトナム戦争
日本は公害闘争の渦。

ヒロシマは辛かった。
でも、何度も写真集を開いた。


決して犯してはならない罪だと強く心に刻んだ。
これは、落とした側だけのものでなく
戦争を始め、続け、嘯いていたすべてのものの罪。

その頃は、
権威に反抗することに傾いていった。
信仰の道からズレて。
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やっと一息 [記憶]

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今日は、昨夜の雨もあり暑さもやっと一息です。少し前から夜は虫の音が大きくなりました。
もう先は、「秋」。
しかし、連日の蒸し暑さに
さすがに夏バテです。
気が付くと、母が逝ってからもう13年も経ちました。
10代の終わりに経験した年下の女の子、友人の自死を前夜に知って高円寺から府中のご自宅に赴いたのが52年前の昼。
70年生きているといろいろある。

しばらくブログ更新休んでましたが、
書くことはたくさんあれど、なんだか筆が進みません。

7月の写真の羅列です。
どれも時間を感じさせます。
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こちらは、
自分が桑園小学校に上がる前から散髪していた床屋さん。
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補助の椅子を嵌めたところに座ってチョキチョキしてもらっていました。
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今はお世話になってませんが、二代目が引き継いで営業しています。

さて、夏も後半戦です。不思議な進路の台風6号も来ていますが
何とか乗り切りましょう。
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夏至の日の衝動買い [記憶]

あちこちで書き込んでいるが
「夏至」という言葉、字ずらも響きも好きだ。
これから秋分へ向かって坂道を下り始めるのが少し淋しい。
スーパーで買い物をしてレジへ、と、その時目の端に映ったのが「塩レモン」KitKat。
レジに籠をおいて二三歩棚へ
衝動買い。
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これがなかなか美味しかった。
ホワイトチョコが苦手な妻もこれならいけると喜ぶ。
レモンが利いていてさっぱり味。
リピート決定。

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街路では「ハシドイ」が満開。香りが良い。

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庭のアジサイが色づいてくる。

でも、空の様子は、少し秋が混じってきているような。
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今年は猛暑ではないとの予報が出ているが、果たして。
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明日から「雨水」 [記憶]

「雨水」という字ずらも音も好きだ。
何とも形容しがたいが好きだ。
ちょろちょろと雪解け水がそこここに細い流れを作るさまを感じさせてくれる。
札幌の実情はまだまだそんな楽観できる時期ではないが
気持ちだけでも「春」近し。
実際、陽射しが伸びてきて心地よい。
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最近の読書はいろいろだが、
読みかけはこれ
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行ったことがないパリの町並みが恋しいと感じさせる。
今はもう湧きあがらないような時代の匂いが心地よい。
原田さんは上手いと思う。

次は夢の話をしようと思っている。
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流行病は終わらない [記憶]

7月パリ祭も過ぎて
つれづれの記録。

庭の生き残り
ガクアジサイが小さな花をつけた。
大好きな花。
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今日、コロナの患者が過去最高数になった。
重症化は緩いようだが、感染力は強い。
来月早々に4回目のファイザーに予約。
線状降水帯の被害か
東北に大雨。
災害はつらいですね。不安ですし。

最近のこと。
選挙があり
応援演説中に狙撃事件があり
ウクライナは泥沼化してきており

仕事では
アルバイト従業員が手首骨折。

自宅では
近所の新築が進行中。

すごく暑い日が続くと思ったら、
雨が降って寒いくらいの夜露。
風邪ひきそう。

コータローさんが亡くなったり

ファイターズが7連勝したり。

世の中は色々な出来事で組みあがって行く。

高校の後輩(ずっと年下の)詩人
文月悠光さんのエッセイを読了。
「臆病な詩人、街へ出る。」
面白く読ませていただきました。

血圧は
やや高め安定。
血糖値A1cは、7.1で変わらず。
ホントウニダイジョウブナノカ?と
カメが覗く。
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「うん、大体ね。
だけど、軽い眩暈が続いている。」

走るだけで癒される。
札幌市西区を横断する数キロの道路の
端から端まで
ラベンダーが美しい。
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初めての体験。困った。auの回線がトラブル。 [記憶]

auの回線がトラブル。
電話が使えません。こんなに大規模で長時間は初めて。
auは大手の中で安定した会社で大きなトラブルがなかった。
このまま、月曜日まで使えないとかなりまずい。
Wi-Fiの無い、屋外ではLineも使えないことになる。まずい。

さて、気持ちを変えて
思い出でも語るかな。

その一。
cafe「佛蘭西市場」の事。
以前にも書いたかもしれないが、創業間もなくのころ、カウンターマンとして就職した。
ほとんどが夜勤の番だった。毎晩働いても、3万円くらいにしかならなかった時代。
150円の珈琲代が高い方だった。
私は写ってないが当時の昼スタッフたちの写真記事がある。
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なかなかの評判をっとた一時代築いた店でした。
オープンサンドは近所だったドンクのススキノ店にフランスパンを毎日買いに行っていた。
鉄鍋で出す西洋風おじやもおいしかった。
何より人気だったのはナポリタンと当時珍しかったカルボナーラ。
当時の札幌ではアルデンテの茹で方は珍しい方だった。
私は初めてここでマスターに教わったのでみんなこうなんだと思っていたら
住まいのアパート近くの喫茶店で出てきた自称本場仕様のナポリタンが
あまりに太っていて柔らかくて仰天して店の人と険悪になったこともあった。
仏蘭西市のメニューにはウインナーコーヒーや輪型の焼きプリンもあった。
カフェオレは珈琲とミルクをそれぞれ雪平鍋で温めて
両手に鍋をもってカップに一緒にそそぐ、珈琲とミルクが絡み合って一本になって注がれてゆく。
なかなか美しい。私は、カウンターでそれを見せるのが得意だった。
お客さんの中には放送局、映画好き、美大の先生たちが多かった。
そういえば、創成川を渡ったところにあったはずのストリップ小屋の踊り子さんや危ない兄さんたちも来ていた。
若かった私のファンも少しいた。カウンターをにぎわしてくれた。
店内内装はマスターの友人の東京のデザイナーさん渾身の企画で
段差のあるボックス席が多用された割と重厚な作りで
そこに、市内の骨董屋さんとの今風に言えばコラボで古道具や柱時計がいっぱいだった。
仏蘭西の蚤の市がテーマだ。
カウンターも広くて落ち着けた。
やがて屋根裏風味の二階も充実して繁盛した。
ここではビッキさんの個展やビーフィルミング(自主製作映画の上映)なども開いた。
わたしも、8ミリで友人たちと石狩海岸までロケ(?)して制作して参加したことがあった。
ちなみに、私の結婚披露パーティーはここで皆が盛大に祝ってくれた。
マスターは皆に愛されて、「Toshi」と呼ばれていた。西洋放浪の経験からかもともとなのかは判然としないが酔うとよく「ハグ」をしていた。
佛蘭西市場の裏の「スペイン酒場」で店は根室出身の大学生「さいはて」さんや後からは東京時代の友人のター坊などに任せて、マスターは客と呑んだくれていた。
佛蘭西市場は主に奥さんの仕切りだった。
プリンは奥さんの友人の渡辺さんが作ってくれた。
のちに、スイーツ系は杉沢さんが担当。
カウンターは鵜川君、中ちゃん、私の3人制。
ホールはいくちゃん、後藤のマリちゃん、東京から流れてきた麻ちゃん、などなど。
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開店一周年の時だったか、
ある月、売り上げ目標が設定されて見事に達成し、みんなみんなで大勢でまだ新しかったプリンスホテルのレストランで食事をごちそうになった。
みんなチームワークがよかった。特に仲が良かった5人は店の骨董スプーンセットを買って1本づつ持ってそれぞれの道へ分かれて行った。
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それから50年、全く消息は知れない。
私はその後またマスターにお世話になって居酒屋「銭湯」で開店1年間店長として働いた。
たくさんの懐かしい思い出。

その二。
上記の仕事がススキノのはずれだったので、仕事帰りによく行ったのが、
おでんの「河庄」。三味線上手の師匠の店。座敷に上がり込んでお子さんたちと寝ていたこともあった。仕切っているおばちゃんがいて師匠はいつも酔っていた。今夜は「一人500円で」と大盤振る舞いで丑三つ時から朝方まで時間を過ごした。そういえば、お客の持ち込んだバッタの佃煮を初めて食べたのはこのカウンターだった。
そして、さらに朝方、市電が走るまでいたのが「サンパウロ」
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入口に「7」が三つ並ぶとじゃらじゃら出てくるゲーム機があって、はまってしまうと電車賃しか残らなかった。ブラジル帰りの威勢のいいママと眼鏡の温厚なマスターがいて食べ物は美味しかった。
ずいぶん年月が過ぎてから、私が納沙布岬のお土産店でウッドクラフトコーナーを仕切っていたとき、マスターが一人旅してふらりと入ってきた。まったくの偶然。声かけるとやはりご本人。驚きました。
その後、札幌へ越した後に新川の店にも行きましたがシュラスコや豆の料理、美味しかった。
 もう一軒よく行ったのが、スナック「らんろう亭」。髪がクリクリのマスターと体格のいい坊主頭の相棒の店。ここも、夜中に行くので、警察が回ってくるとアルコール類を引っ込めた。確か23時を回るとアルコールはご法度だった時代である。

ほかにも、仕事以外ではオヨヨ通りの小林先輩がいた店や、都通りのゆうさんのやってたスナックなどなどよく行った。喫茶店では、アメリカーナ(のちに、犬狼都市)やELEVIN、B♭、お世話になった「旅」(藤沢、藤原の二女史の店)、タマキ、数え上げたらきりがない。


と、ここまで思い出ボロボロ書き連ねても
au回線は復帰しない。長期戦は勘弁してほしい。仕事にならなくなる。
明日の聖書大会の視聴も私は大丈夫だが、困る仲間も出てきそうだ。
さて、朝起きたら治ってるかな。
工事さんたちはご苦労様だが肩にかかっているものは大きいので頑張ってもらうしかない。
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大腸内視鏡検査 [記憶]

何だか疲れてます。

昨日、無事に内視鏡検査完了。
朝、8:30から受付して大腸洗浄剤を2時間かけて
ゆっくりと2L飲む。
あと500CCぐらい残して
急に飲み込めなくなってくる。
腸内がきれいになるにはもう少し時間がかかる。
斜め前方にある大型TVの画面では日本対中国のカーリングの試合が続いている。
持って行った電子図書の通俗小説にも集中が利かなくなり
ぼんやりとTV画面を見やりながら
急襲する便意を待つ。
すぐ横に備えられている快適なトイレに通うこと14回ほどで
何とか準備が整い
12時をだいぶ回ってから、やっと検査の支度に入る。
混み合っていた検査に空きができて
呼ばれる。
検査は、自分もモニターを見られるので
いつも「生きている体内、内臓は綺麗だな~」と感心しているうちに終わる。
胃カメラと違ってずいぶんと楽だ。
結果は、3年前の手術の時から確認している2ミリほどのポリープが
まだそのままなのと新たに別のところにも1個同様なのがあったくらい。
あとは少し赤く潰瘍になっている部位があった。
下痢などするようなら消化器内科を受診するように助言有。
手術の接合部は綺麗。
直後の所見はそんなところ。「ほ!」

あとは、
金曜日に主治医からCT検査、血液検査と合わせての受診解説待ち。

なんか、回を追うごと
年を重ねるごとに検査がつらくなってくる。
疲れが残るようになる。
致し方ないのだろう。

病気のなくなる新世界に思いをはせる。
聖書預言には希望がある。

3回目のワクチン接種も3月4日に決まった。
三度、ファイザー製薬。
効果は薄くとも
副作用の少ない方をチョイス。

(写真は昭和31年ころの家族団らん、祖父とジンギスカン鍋を囲んで。今住んでいる同じところにあった小さな平屋の居間。窓は凍れているのか融けてきている模様が船のようにみえる。抱かれて甘えているのが自分。)
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